──米津玄師「Plazma」歌詞レビュー

ぼくたちは光の中へ踏み出す。

米津玄師の「Plazma」は、過去の些細な選択や偶然が、
今の自分をどう形作っているのかを鋭く、
かつ詩的に描いた楽曲だ。

歌詞に散りばめられた「もしも」の数々は、
青春という名の銀河の中で
彷徨うような感覚を呼び起こす。

タイトルにある“Plazma(プラズマ)”は、
高エネルギーによって生まれる光の奔流。

抑えられない衝動や感情、
そしてそこに宿る希望の象徴として、
この曲全体を貫いている。


“もしも”を重ねるたび、浮かび上がる現在地

「もしもあの改札の前で/立ち止まらず歩いていれば」という歌い出しは、
何気ない日常の分岐点を静かに切り取る。

ここで語られるのは“君”との出会いがなかった世界線への想像だ。

続く、「君の顔も知らずのまま/幸せに生きていただろうか」という問いかけには、
後悔をふくんだ愛しさが滲む。

人は過去を振り返り、
「あのとき別の選択をしていれば」と思うことがある。

それは取り返せない“過ぎたこと”であるはずなのに、
本作ではあえて「もしも」を何度も繰り返すことで、
その積み重ねの果てにある“今”の尊さを際立たせている。


靴の汚れも、傷も、銀河の果てで

中盤の「寝転んだリノリウムの上/逆立ちして擦りむいた両手」という描写は、
日常の中でふと感じた無限への気づきを、
実に米津玄師らしい感性で表現している。

痛みや傷さえも、宇宙の果てを思わせる
この世界の“リアル”な一部であるという認識。

それを裏付けるように、
「ここも銀河の果てだと知って/眩暈がした夜明け前」という一節が続く。

目の前の現実が果てしない宇宙へとつながっている
──そんな感覚は、青春の只中にある者だけが
感じ取れる特権なのかもしれない。


プラズマの光が突き抜ける、圧倒的な瞬間

サビでは一気に視界が開け、
「飛び出していけ宇宙の彼方/目の前をぶち抜くプラズマ」と歌われる。

ここでの“プラズマ”は、感情の臨界点とも言える強烈な光
として描かれており、

言葉にできない想いや衝動が
エネルギーとなって飛び出していくイメージが鮮烈だ。

「ただひたすら見蕩れていた/痣も傷も知らずに」とあるように、
その光に魅せられるあまり、
痛みや迷いすらも意識から遠のいていく。

米津の描く“飛び出す”という行為は、
怖れを超えた肯定である。


“あの日”の飛行機雲が教えてくれたこと

後半で再び登場する「もしも」の連なりは、
今度は“君との関係”に焦点を当てる。

「君の手を離さなければ」「声を飲み込んでいれば」

──もう戻れない選択の記憶たち。

それでも、「あの日君の放ったボールが額に当たって/倒れる刹那僕は確かに見た/ネイビーの空を走った飛行機雲を/これが愛だと知った」と描写される場面は、
まさに運命の象徴。

些細な接触の中に、永遠を見つけてしまう瞬間。
そこで初めて“愛”を知ったという告白は、
この歌全体を貫く衝動の根源とも言える。


たとえ遠くても、響き合う光の声

最後に繰り返されるサビの中、
「何光年と離れていても/踏み出した体が止まらない」という歌詞が心に残る。

たとえどれだけ距離があっても、
一度光に向かって走り出した“僕”はもう止まれない。

そして、「今君の声が遠く聞こえている/光っていく」と結ばれることで、
音や想いは時空を超えて届き、
また光へと変わっていく。


何かを選んだ自分、踏み出した自分
そして選ばなかった世界、踏み出さなかった世界。

すべてが連なって“今”という瞬間を照らす、
米津玄師ならではの壮大で私的な宇宙詩。それが「Plazma」だ。

By morino

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